次女に、今の両親を見てほしい。
今回、次女を連れて実家に帰ったのは、そんな気持ちもありました。
1年5か月ぶりに会う次女が、明らかに老いが進んだ両親の姿をどう感じるのか、少し心配でした。
ところが、実際に私が目にしたのは、思っていたものとは少し違う光景でした。
「あれ? お父さん、お母さん、こんなに元気だったっけ?」
そこから私は、両親には、私が普段見ているのとは違う顔があるのかもしれないと思うようになりました。
次女を連れて、実家へ
次女と二人、いつもの夜行バスで帰省しました。
次女は、1年5か月ぶりにおじいちゃん、おばあちゃんに会います。
私は、3か月前にも帰省していました。
父は背中が曲がり、両親とも動きがずいぶんゆっくりになっています。
次女はそんな両親を見て、少しショックを受けるんじゃないかと気がかりでした。
一方で、人は年を取るもの。いつまでも元気ではないという現実を、ちゃんと見てほしいとも思っていました。

そして、この旅の最後に、次女はこう言いました。
「確かにおじいちゃんの背中曲がってるね。でも二人とも思ってたよりも元気でよかった」
両親が、いつもと違って見えた
実は私も、次女と同じように、「思ったよりも元気そうでよかった」と感じたんです。
それは、私が3か月前に帰ったときの両親とは、まるで違ったから。
前回帰ったときは、「困っている親」として待ち構えていました。
私が到着するとすぐに、困りごとの話、やってほしいことの話が始まりました。
だから今回も、到着したら、
「ちょっと、これやってくれない?」
「これ、どうやったらいいか分からないからやって。」
が、たくさん待ち構えていると覚悟をしていたんです。
ところが、実際は違いました。
「おかえり、疲れたやろ? ちょっと休んで。」
「(次女に)久しぶりやね。お姉さんになったね。学校はどう?」
声に張りもある。表情も笑顔で明るい。
元気な頃と同じ、孫を迎える両親そのままだったんです。

久しぶりに会うと、昔の関係に戻ることがある
こんな場面がありました。
ダイニングで両親がいるところに次女が2階から降りてくると、両親は次女が小さかったときからそうしていたように、
「おまんじゅう食べる?」
「お茶飲む?」
「アイスもあるよ」
と、次々におやつを出してきました。
次女はもう成人していますが、子どもに戻ったかのように「食べる!」と喜び、キャッキャと笑いながら、3人でおやつを食べていました。
私はその光景が懐かしくもありました。
一方で、「こんな光景は、もうこれで最後かもしれない」とも感じていました。
だから、三人には、この時間をいい思い出として残してほしかった。
自分が今ここに加わることで、この貴重な三人の時間が終わってしまう気がして、私は離れたところから3人の声を聞いていました。
最後かもしれないと思うと少し悲しい。でも、三人の笑い声を聞いている時間は幸せでした。

私が母と二人になると、母は介護の話をする
しばらくして、父と次女は2階へ上がりました。
母と二人になると、さっきまでとは空気が変わりました。
そして、一つ前の記事で書いた介護費用の心配の話が始まりました。
その様子を見て、
「やっぱり、母には聞いてほしい話があって、私の顔を見ると話したくなるんだ。」
と感じました。
訪問介護の現場でも、相手によって違う顔を見せる利用者さんに、よく会います。
これは、私が介護職として関わっているある利用者さんのお話です。
ある日、古い友人が久しぶりに訪ねてくると、とたんにシャキッとしたんです。
座り方や態度も変わり、声も、話す内容も若々しくなりました。
そんな様子を見ていると、
「この方はお元気だった頃、こんな話し方をする方だったんだな。」
と気付かされます。
人には、相手との関係によって引き出される顔があるのかもしれない。
そう思う瞬間です。
いつの間にか私は母を、「介護される人」として見るようになっていました。
私の接し方によって、母から引き出される顔も変わるのかもしれません。

今回は、介護の書類を確認せずに帰った
母のお金の心配については、本来なら計画書や利用票を出してきてもらって、じっくり見れば、少しは答えられたのかもしれません。
でも、それを始めると、几帳面な母は納得するまで追求することが目に見えていました。
請求書がまだ来ていない段階で、今やることではない。
そう判断して、書類の確認はしませんでした。
書類を確認しなかった理由は、それだけではありません。
母に代わって父に書類を出してきてもらうと、両親がいつもの介護モードに戻ってしまう。
それに、次女はまたすぐ2階から降りてくるかもしれない。
次女の前でリアルなお金の話はしたくない。
そんな思いから、書類は10月の帰省のときに確認すればいいと判断したんです。
おわりに
今回、次女を連れて帰省したことで、私は両親の違う顔を見ることができました。
私が一人で帰ると、困っていることや心配ごとばかりを話す両親。
でも、次女と一緒にいるときは、昔のままのおじいちゃん、おばあちゃんでした。
そして母と二人になると、母はいつものように介護の話を始めました。
その様子を見て、
「もしかすると私も、母を『介護される人』として見ているのかもしれない」
と気付きました。
・介護される人が、相手によって違う顔を見せることがある。
・介護が始まった親を、「介護される人」として接していないだろうか。
・介護される人が元気だったころの人と過ごすと、活気を取り戻すことがある。
次は介護認定調査のために10月に帰省します。
そのときには、母が心配していたお金のことを、ちゃんと確認しようと思っています。
